元気がない紅葉葵2017年08月16日 11:32

毎日、梅雨みたいな雨が続いています。暑いのが苦手なので楽でいいけれど、こう異常気候ばかりだと心配です。
いつもの同じ株から、健気な紅葉葵が今年も咲いてくれましたが、以前に比べると元気がない。肥料も何もやってないからかしら。そういえば、種をまき、増やしたはずの株もみんな消えてしまったみたい。

長嶋有「もう生まれたくない」2017年08月08日 23:55

近頃、著名人の訃報が多いような気がするが、たまたま若き小林麻央さん、そして105歳の日野原先生のことがあったためになおさらそういう感じがするのかもしれない。この本は、新聞の評が良かったのと「もう生まれたくない」というタイトルに興味をひかれて読み始めた。
主人公は数人の、大学生、教師、主婦といったそれぞれにつながりのある若い人達で、その群像劇の中に、ジョン・レノン、ダイアナ妃、臼井儀人(漫画クレヨンしんちゃんの作者)、スティーブ・ジョブス、シルビア・クリステル、笹井芳樹(STAP細胞論文騒動の小保方晴子の上司)等々、すべての人の記憶に残るような「死」に対しての登場人物の想いがそれぞれの人生の描写の中に織り込まれる。そしてその間に起こった主人公たちの個人的な突然の「死」も登場する。
日常の生活の中に、メディアによってもたらされる「死」に対しての登場人物の感想やリアクションが面白い。私も「クレヨンしんちゃん」の作者が山で転落して亡くなったというニュースをすごく不思議に思ったことを思い出した。
登場人物が私よりはるかに若いため、ゲームオタクの遊び道具など、ほとんど理解できない名前が続出したのには参った。
題名の「もう生まれたくない」という意味は、いま一つ分からず仕舞い。

ろんぽわん歳時記第4集2017年08月01日 13:27

立地にちなんで「Rond-Point(フランス語でロータリー)句会」と命名された「集まり」、はやいもので丸4年を過ぎ、恒例の歳時記も第四集となった。 一集目から作成を任されている私、発句よりこっちのほうで張り切ってしまいがち、今回はいままでのデザインを一新してみた。

DVDの「ホフマン物語」2017年07月19日 17:38

昨年11月、現地で観たロイヤル・オペラ・ハウスの「ホフマン物語」のDVDが7月7日に発売された。さっそくオンライン購入し、amazon経由で¥2500ぐらいのDVDが10日後に航空便で到着した。
オッフェンバック没後100年に当たる1980年に、プラシド・ドミンゴ主演で初演されたプロダクションで、これが最後の上演らしい。実におもしろい舞台で、ホフマンの最初の恋人(実は機械仕掛けのお人形)オランピアが活躍する場面では、笑いっぱなしだった。
もう一度、あの愉快なシーンを観たいという気持ちでDVDをセットする。しかし、いま一つおかしくないし、あの夜の興奮が伝わってこない。もちろん小さな画面と生の舞台との差はあるだろう。しかしなぜこんなに印象が違うのだろうと考えてしまう。
録画ではアップの場面が実に多い。遠くから見ていると、ホントに機械仕掛けのように見えるオランピアも、アップされると人間にしか見えないし、全体の場面があってからこその演技がそこだけ大きくアップされるとおもしろくないのだ。
これはいつも録画のDVDを観ると感じていたことだったが、これほどまでに差があるとは! オペラしかり、歌舞伎しかり、コンサートも、スポーツ観戦もみな同じことだろう。
というわけで、楽しみにしていたDVD、ちょっとがっかりだった。 それにしても、有名な美しい『舟歌』、小さいときから耳に残っているあの健全なイメージの唄が、実際は酒池肉林的なシーンでの愛の唄だということを改めておもしろく思った。

「別離」を観て2017年07月17日 14:47

前回、いま話題のイランの監督アスガー・ファルハディの新作「セールスマン」を観に渋谷まで出かけ、睡魔と闘ったという記事をUPしたところ、「ぐらっぱ」さんから、あの名画を観て「寝ちゃいますかねえ」と厳しいコメントをいただいた。睡魔と闘った映画というのは、私の場合、大体において趣味にあわないことが多いが、こんなに巷の評価が高い監督の映画なのだから、もう一度ためしてみようと録画してあった同じファルハディ監督の「別離」を観た。
 結論としては、可もなし不可もなし、というところかな。また怒られちゃうかしらん。
イランといえば、昔のパーレビ―国王の時代は女性はみんな派手に着飾ってヒジャブなど被っていなかったのに、革命後のホメイニ師の時代になってから、小さな子供まで髪の毛を隠しているような、ムスリムの掟に厳しい怖い国になってしまった印象がある。
西洋と同じ豊かさの中で生活している主人公は女の権利を激しく主張するし、従順さどころか、男よりもずっと強いイメージなのに、ヒシャブだけは必ず着用していなくてはならないようだ。プライド、嫉妬、偽り、などが渦巻く人間ドラマとしての出来は納得できるが、この慣習がどうしても目に残る。もっとも、監督もこの不自然さをアッピールしたかったのかもしれない。また、話の決着がコーランを信奉する家政婦の行動によって決まるという点も、監督の不自然な社会への批判があらわれているということなのだろうか。
もっと自由に外国で生きたいという妻に対して「父親の介護」があるからそれは不可能だという夫、それでも妻は出ていく。粗相をしてしまった父親の体を一人で洗いながら泣き崩れるシーンで、鑑賞者の大方は夫のほうに思いを寄せるだろう。老人介護の問題は万国共通だ。
娘がどっちの親を選ぶか鑑賞者の判断に委ねる監督の手法、単純な私には腹立たしかった。