「嵐が丘」再考2013年02月06日 12:45

ここで「嵐が丘」の再読を宣言して以来、数日間は、光文社古典新訳文庫の小野寺健訳「嵐が丘」を、読んで過ごすことに相成った。コベマル氏のように「解説」を先に読んでからの挑戦である。 小野寺氏の解説には「作中人物は観念なのだ。もっと言えば行動に潜在している観念なのだ」「ヒースクリフの復讐の動機、また初代キャサリンの執念の底には『人間の実存』といった概念が存在しているのである」とある。「行動に潜在している観念」ということがどういう意味か、私の頭にはちょっと難しい言葉ではあるが、「執念の底には『人間の実存』といった概念が存在している」という言葉は理解できるような気がする。「小説が、道徳や慣習を教えるものではなく、人間のいわば実存を探求するものとして読まれる時代が来たのである」ともあったが、そういう読み方からすれば、たしかに「嵐が丘」はその代表的な作品となるのかもしれない。モームが「世界の十大小説」と銘打ったのもむベなるかなということになるのだろう。
 そういう知識をもって読むと、たしかに、光文社文庫のほうは、鴻巣訳よりはるかに日本語らしい文章が並んでいるし、読むのが苦痛という気持ちには決してならなかった。性や出産など、リアリティへの描写はまったくなく、心の奥底、人間の実存だけを、これでもかこれでもかと、追求していく展開は、冗長な部分が多く、やや疲れるが、それでも迫力に満ちている。また、ヒースクリフのキャサリンへの愛の激しさ、肉親への愛も超える執念の凄まじさ、また血のつながりのない似たもの同士の連帯感、そしてきわめて常識人としてのユーモアを混ぜての語り手、ネリーの存在、等々、作者の物語の構築の方法も結構おもしろく読むことができた。
 ところで、今回の再読で、小野寺健訳の「嵐が丘」の中に、明らかにおかしいところ、「誤訳」というより「間違い」を見つけてしまった。上巻第11章、嵐が丘に行く途中でネリーがヒースクリフの復讐の犠牲になっているヒンドリーの子供時代の幻影を見て、「かわいそうなヒンドリー!」と思う。そして、急に、ヒンドリーが死んだのではないか、死にかけているのではないか、これは死の知らせではないか、と胸騒ぎを覚える。((Superstition urged me to comply with this impulse-supposing he should be dead!I thought- or should die soon!- supposing it were a sign of death!p.109)、 小野寺氏の訳では、そこで「he」が、急にキャサリンの結婚相手、ヒースクリフの復讐のもう一人のターゲット、「リントン」の名前になっているのだ。「リントンが死んでいたらどうするのだ p.244」というふうに展開してしまっている。
 これはどう見ても間違いではないか、と、思い切って光文社の編集部に「ここにリントンと出てくるのはなぜ?」とEメールで問い合わせてみた。すると、すぐ返事が来て、訳者に直接問い合わせをしたとあった。
「ご指摘の通りで、『リントン』ではないです、なぜ『リントン』としてしまったのか、時間が経っていることもあってわかりかねるのですが、いずれにしても自分の不注意で、それを指摘いただき、感謝します、と小野寺氏がおっしゃっていた。次の版では、『リントン→もしも彼が』と修正いたします」とあったのである。なんと、小野寺健氏に「間違いの指摘」を感謝されちゃったのである。
 人のあら探しをしてばかりいるようでちょっと気がひけるところはあったが、「嵐が丘」に振り回されたこの数日の経験は、なかなか面白いものだった。そして、その結論は、「嵐が丘」はやはり世界の十大小説の一つとして評価されるべきであろう、ということ、そして、いくら名作でも、原書で読めない限り、その価値の良さを知るのも限界があるだろう、ということだった。
 ああ、せめて英語の本ぐらいスラスラ読めるようになりたい。

我が家のお雛様その①2013年02月08日 10:58

まだちょっと早いと思ったが、孫にせがまれて我が家の秘宝(!)のお雛様、紙雛(!)の登場です。軽いので、しょっちゅうお雛様がひっくり返ってしまい、お行儀が悪くなることがちょっと欠点。
Facebookで、10円玉を底に貼り付けたらいかが、というアドバイスがありましたので、さっそくやってみましたが、うまくいきませんでした。

ブログのデザインを変更しましたが、読みにくいでしょうか。

我が家のお雛様その②2013年02月08日 11:10

これは、わが父母が私のために買ってくれたもの。もう67年以上たっているから骨董品ですね。このお雛様のお顔、大好きなんです。

楽しんでいるのは私?2013年02月08日 22:35

赤ちゃんを寝かしたり運んだりする、クーファン(couffin)と呼ばれているもの、実際の赤ちゃんに使った場合は危ないということで、日本ではほとんど見かけることがない。はたして西洋では使う人が多いのだろうか。孫のお人形用をおもちゃ売り場で購入しようとしたが、その値段にびっくりして手を引っ込めた。
 クッションにするつもりで押入れの中にしまい込んであったキルティング生地の布を引っ張り出し、さっそく人形用クーファンの製作にとりかかった。筒型状態の裏表を合わすのにちょっと苦労したが、どうやらうまく出来上がった。
 ちなみに人形の着ているセーターも帽子も私の製作である。孫のため、という名目で楽しんでいるのは私かも。

変な日本語を注意できるでしょうか。2013年02月15日 16:10

デパートの売り子嬢の変な丁寧語が気になって仕方ない私、きょうは、以下の二つに思わず笑ってしまった。
その①ブラウスを買ったとき・・・「こちらのお形(オカタチ)はいかがでございますか?」
その②桜餅を買ったとき・・・「こちらの箱をお平ら(オタイラ)にしてお持ちくださいませ」」
みなさん、変な日本語に出会ったら、躊躇せず、すぐ注意しましょう!

以下は、フェイスブック上で、これを読んだ人からのコメントです。

Aさん・・・ なんといって注意するんですか?
私・・・・・・ きょうの私は、「オカタチ」には、ただその言葉を自分で繰り返してヘラヘラ笑うのみ、後半の「オタイラ」は「『平らにして』でいいのよ」と、やさしく申しました。
Aさん・・・ですよね!私はいつも、繰り返してへらへら、です。「○○でいいのよ」とやさしくいうのはいいですね。いずれにしても、間違っていることは理解してもらえなさそうです…