「別離」を観て2017年07月17日 14:47

前回、いま話題のイランの監督アスガー・ファルハディの新作「セールスマン」を観に渋谷まで出かけ、睡魔と闘ったという記事をUPしたところ、「ぐらっぱ」さんから、あの名画を観て「寝ちゃいますかねえ」と厳しいコメントをいただいた。睡魔と闘った映画というのは、私の場合、大体において趣味にあわないことが多いが、こんなに巷の評価が高い監督の映画なのだから、もう一度ためしてみようと録画してあった同じファルハディ監督の「別離」を観た。
 結論としては、可もなし不可もなし、というところかな。また怒られちゃうかしらん。
イランといえば、昔のパーレビ―国王の時代は女性はみんな派手に着飾ってヒジャブなど被っていなかったのに、革命後のホメイニ師の時代になってから、小さな子供まで髪の毛を隠しているような、ムスリムの掟に厳しい怖い国になってしまった印象がある。
西洋と同じ豊かさの中で生活している主人公は女の権利を激しく主張するし、従順さどころか、男よりもずっと強いイメージなのに、ヒシャブだけは必ず着用していなくてはならないようだ。プライド、嫉妬、偽り、などが渦巻く人間ドラマとしての出来は納得できるが、この慣習がどうしても目に残る。もっとも、監督もこの不自然さをアッピールしたかったのかもしれない。また、話の決着がコーランを信奉する家政婦の行動によって決まるという点も、監督の不自然な社会への批判があらわれているということなのだろうか。
もっと自由に外国で生きたいという妻に対して「父親の介護」があるからそれは不可能だという夫、それでも妻は出ていく。粗相をしてしまった父親の体を一人で洗いながら泣き崩れるシーンで、鑑賞者の大方は夫のほうに思いを寄せるだろう。老人介護の問題は万国共通だ。
娘がどっちの親を選ぶか鑑賞者の判断に委ねる監督の手法、単純な私には腹立たしかった。