長嶋有「もう生まれたくない」2017年08月08日 23:55

近頃、著名人の訃報が多いような気がするが、たまたま若き小林麻央さん、そして105歳の日野原先生のことがあったためになおさらそういう感じがするのかもしれない。この本は、新聞の評が良かったのと「もう生まれたくない」というタイトルに興味をひかれて読み始めた。
主人公は数人の、大学生、教師、主婦といったそれぞれにつながりのある若い人達で、その群像劇の中に、ジョン・レノン、ダイアナ妃、臼井儀人(漫画クレヨンしんちゃんの作者)、スティーブ・ジョブス、シルビア・クリステル、笹井芳樹(STAP細胞論文騒動の小保方晴子の上司)等々、すべての人の記憶に残るような「死」に対しての登場人物の想いがそれぞれの人生の描写の中に織り込まれる。そしてその間に起こった主人公たちの個人的な突然の「死」も登場する。
日常の生活の中に、メディアによってもたらされる「死」に対しての登場人物の感想やリアクションが面白い。私も「クレヨンしんちゃん」の作者が山で転落して亡くなったというニュースをすごく不思議に思ったことを思い出した。
登場人物が私よりはるかに若いため、ゲームオタクの遊び道具など、ほとんど理解できない名前が続出したのには参った。
題名の「もう生まれたくない」という意味は、いま一つ分からず仕舞い。

ろんぽわん歳時記第4集2017年08月01日 13:27

立地にちなんで「Rond-Point(フランス語でロータリー)句会」と命名された「集まり」、はやいもので丸4年を過ぎ、恒例の歳時記も第四集となった。 一集目から作成を任されている私、発句よりこっちのほうで張り切ってしまいがち、今回はいままでのデザインを一新してみた。

DVDの「ホフマン物語」2017年07月19日 17:38

昨年11月、現地で観たロイヤル・オペラ・ハウスの「ホフマン物語」のDVDが7月7日に発売された。さっそくオンライン購入し、amazon経由で¥2500ぐらいのDVDが10日後に航空便で到着した。
オッフェンバック没後100年に当たる1980年に、プラシド・ドミンゴ主演で初演されたプロダクションで、これが最後の上演らしい。実におもしろい舞台で、ホフマンの最初の恋人(実は機械仕掛けのお人形)オランピアが活躍する場面では、笑いっぱなしだった。
もう一度、あの愉快なシーンを観たいという気持ちでDVDをセットする。しかし、いま一つおかしくないし、あの夜の興奮が伝わってこない。もちろん小さな画面と生の舞台との差はあるだろう。しかしなぜこんなに印象が違うのだろうと考えてしまう。
録画ではアップの場面が実に多い。遠くから見ていると、ホントに機械仕掛けのように見えるオランピアも、アップされると人間にしか見えないし、全体の場面があってからこその演技がそこだけ大きくアップされるとおもしろくないのだ。
これはいつも録画のDVDを観ると感じていたことだったが、これほどまでに差があるとは! オペラしかり、歌舞伎しかり、コンサートも、スポーツ観戦もみな同じことだろう。
というわけで、楽しみにしていたDVD、ちょっとがっかりだった。 それにしても、有名な美しい『舟歌』、小さいときから耳に残っているあの健全なイメージの唄が、実際は酒池肉林的なシーンでの愛の唄だということを改めておもしろく思った。

「別離」を観て2017年07月17日 14:47

前回、いま話題のイランの監督アスガー・ファルハディの新作「セールスマン」を観に渋谷まで出かけ、睡魔と闘ったという記事をUPしたところ、「ぐらっぱ」さんから、あの名画を観て「寝ちゃいますかねえ」と厳しいコメントをいただいた。睡魔と闘った映画というのは、私の場合、大体において趣味にあわないことが多いが、こんなに巷の評価が高い監督の映画なのだから、もう一度ためしてみようと録画してあった同じファルハディ監督の「別離」を観た。
 結論としては、可もなし不可もなし、というところかな。また怒られちゃうかしらん。
イランといえば、昔のパーレビ―国王の時代は女性はみんな派手に着飾ってヒジャブなど被っていなかったのに、革命後のホメイニ師の時代になってから、小さな子供まで髪の毛を隠しているような、ムスリムの掟に厳しい怖い国になってしまった印象がある。
西洋と同じ豊かさの中で生活している主人公は女の権利を激しく主張するし、従順さどころか、男よりもずっと強いイメージなのに、ヒシャブだけは必ず着用していなくてはならないようだ。プライド、嫉妬、偽り、などが渦巻く人間ドラマとしての出来は納得できるが、この慣習がどうしても目に残る。もっとも、監督もこの不自然さをアッピールしたかったのかもしれない。また、話の決着がコーランを信奉する家政婦の行動によって決まるという点も、監督の不自然な社会への批判があらわれているということなのだろうか。
もっと自由に外国で生きたいという妻に対して「父親の介護」があるからそれは不可能だという夫、それでも妻は出ていく。粗相をしてしまった父親の体を一人で洗いながら泣き崩れるシーンで、鑑賞者の大方は夫のほうに思いを寄せるだろう。老人介護の問題は万国共通だ。
娘がどっちの親を選ぶか鑑賞者の判断に委ねる監督の手法、単純な私には腹立たしかった。

「セールスマン」2017年07月07日 09:08

ファルハディ監督「セールスマン」のイラン映画はいつも評判になることは知っていたが、中東世界の国情等を考えると何となく億劫で、観に行く機会がなかった。
今回、また友人からのチケットのプレゼントがあったことがきっかけでいそいそと出かける。
最初は、住居のビルにひびが入って崩壊しそうだというので主人公夫婦をはじめ住民たちが家財道具を運んだり、病気の人を背負ってビルから脱出するというシーンから始まった。説明が全くないので、「なに、これ? 爆撃か何か?」と思ってしまったが、そういう極限状態の話ではない。そして、その詳しい状況はよく分からない。とにかく主人公夫婦は違うアパートに引っ越しをし、そこの前の居住者は売春婦で…ということで話は始まる。
ところが、なんと、すぐに睡魔におそわれてしまった。まったく分からないペルシア語も子守唄に聞こえてしまう。しかし、幸いなことに、映画を観ている時に眠くなったことがないと豪語するステントマンと一緒だったので、あとでゆっくりと聞いて、睡魔と闘っていた最初の肝心のシーンを補い、全ストーリーを理解した。
クライマックスは、民族の違いというか、価値観の違いというか、宗教のせいというか、前提として日本及び西欧とは全く違う発想で物事を考える部分の理解なしには分からない。例えば、冒頭の家屋取り壊しも住民がいる時に一方的に行われることなど日本では考えられない。レイプされたら被害者の方が隙があったと批難をされる社会、男性優位で家長の名誉が第一という価値観が一般的ということを知らないと話の展開について行けない。しかし、普遍的テーマである人の生き方、信条という部分では、観客にいろいろ考えさせる展開だ。
なるほど、こういうふうに観客に考えさせるテーマを与える監督なのね、と勝手に納得。
ところでこの映画の原題は何というのだろう。やはりこれは劇中劇と同じ「セールスマンの死」にするべきでしょう!!