原田マハ「美しき愚かものたちのタブロー」 ― 2019年10月24日 13:50
随分大仰なタイトルだと思った。タブロー(絵画)というフランス語は
日本語の中であまり使われることはないが、「絵画」「絵」という
単語を並べるよりはるかにインパクトがある。もちろんそれを狙ったのだろが、
もう少し平凡なタイトルのほうが、この話には合っているような気がする。
日清・日露戦争が勝利に終わり、日本が西洋諸国と肩を並べて繁栄を 謳歌していた頃の日本の財閥というのは、途方もない財力があったのだろう、
松方幸次郎が次から次へとコレクションを増やしている過程は信じられない ような世界である。
やがて第二次世界大戦、そして敗戦へと運命は暗転し、沢山の作品が戦勝国 であるフランスに留め置かれた。そして戦後の変換交渉に吉田茂が活躍し、 1万点と言われるコレクションのうち375点が、展示施設をつくることを 条件に寄贈変換され、1959年、上野に国立西洋美術館が開館した。
その時、 松方幸次郎はすでに故人となっている。
一番興味深かった話は、最後のほうに出てくる日置釭三郎のことだ。 松方の特別秘書として活躍しパリで暮らしていた人物で、戦争中に
コレクションをドイツ軍から守るのに苦労したという。 今度は、彼の話を中心に描かれている本を読んでみよう。
もう少し平凡なタイトルのほうが、この話には合っているような気がする。
日清・日露戦争が勝利に終わり、日本が西洋諸国と肩を並べて繁栄を 謳歌していた頃の日本の財閥というのは、途方もない財力があったのだろう、
松方幸次郎が次から次へとコレクションを増やしている過程は信じられない ような世界である。
やがて第二次世界大戦、そして敗戦へと運命は暗転し、沢山の作品が戦勝国 であるフランスに留め置かれた。そして戦後の変換交渉に吉田茂が活躍し、 1万点と言われるコレクションのうち375点が、展示施設をつくることを 条件に寄贈変換され、1959年、上野に国立西洋美術館が開館した。
その時、 松方幸次郎はすでに故人となっている。
一番興味深かった話は、最後のほうに出てくる日置釭三郎のことだ。 松方の特別秘書として活躍しパリで暮らしていた人物で、戦争中に
コレクションをドイツ軍から守るのに苦労したという。 今度は、彼の話を中心に描かれている本を読んでみよう。
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